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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)10号 判決

控訴人 甲野一郎

被控訴人 乙山花子 〔人名仮名〕

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張、証拠の提出、援用、その認否は、次のとおり附加訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

原判決四枚目裏三行目に「(二)ないし(五)」とあるのを「(二)ないし(一〇)」と訂正し、同五枚目表八行目の「本件土地」とある次に「(ただし別紙物件目録(一)の土地についてはその二分の一の持分)」と加入する。

(控訴人の主張)

一  請求原因一項及び六項の3の各事実は認める。

二  控訴人は、昭和二四年二月一六日兄二郎が、昭和二五年一〇月二三日父三郎が、それぞれ死亡する以前から、同人らの法定相続人である家族全員から甲野家の財産を単独で相続すべき跡継ぎと認められていたので、右三郎の死亡と同時に二郎の遺産である本件土地のすべてを単独で相続したものと考え、所有の意思をもつて平穏公然に占有管理を開始し、以来公租公課もすべて負担して占有管理を継続してきたものであるから、占有の始めに過失があつたとしても、三郎の死亡した昭和二五年一〇月二三日から満二〇年を経過した昭和四五年一〇月二三日には本件土地の全てについて取得時効が完成した。

三  本件に関しては相続の法理を適用すべきであるから、被控訴人が春子の相続分に基いて本件土地の返還請求をする場合には相続回復請求権の行使によるべきところ、春子の相続回復請求権は、同人の相続開始の時、即ち、二郎の死亡した昭和二四年二月一六日から二〇年を経過することにより時効消滅することになる。したがつて、春子の相続回復請求権は、本訴提起の時には既に時効消滅していることが明らかであるから、被控訴人の本訴請求は理由がない。

(被控訴人の主張)

控訴人の何れも時機に遅れた攻撃防禦方法であるから却下さるべきである。

仮に、時機に遅れた攻撃防禦方法でないとしても、右主張は争う。なお、控訴人が右三郎の死亡の時から本件土地を所有の意思をもつて占有管理していた事実は否認する。

(証拠)〈省略〉

理由

一  請求原因一、二、四、五項及び六項の3の各事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、本件土地全部(ただし原判決別紙物件目録(一)の土地についてに二分の一の持分)につき昭和四三年一〇月一五日二郎から三郎及び夏子の相続に因る所有権移転登記を経たうえ控訴人単独名義の相続に因る所有権移転登記手続が経由されるに至つた経緯について判断する。成立に争いのない甲第一、二号証、同第二七号証の三、同第三〇号証の一、同三五号証の一ないし三、同第三六号証の一ないし四、同第三七号証の一ないし一九、同第三八ないし第四〇号証、乙第二号証、原審証人甲野秋子の証言(ただし後記措信しない部分を除く)、原審における甲野春子の本人尋問の結果並びに原審及び当審における控訴人の本人尋問の結果(ただし、後記措信しない部分を除く)によれば、次の事実が認められる。

1  春子(明治二八年六月二日生、ときにはる子とも称していた。)は、大正八年二郎の許に嫁して以来、甲野家の長男の嫁として、病弱で目の不自由な姑冬子に代わつて、同家の家事及び控訴人を含む二郎の弟妹の養育等に尽し、控訴人ら兄弟及び近隣の人々に敬愛されていたところ、夫二郎との間に子が生れなかつたところから、性格が素直で優しく思われた控訴人を慈しみ、ゆくゆくは養子として甲野家の跡を継がせようと考えていた。

そのため、二郎と春子は、控訴人を跡継ぎに相応するように教育すべく、家業に精励し、他の弟妹には小学校教育しか受けさせなかつたのに独り控訴人のみを大学に進学させ、医師として生業できるに至るまで教育し、その間実親にも優る世話をし、控訴人が昭和一二年に秋子(ときにあき子とも称した)と結婚し、戦時中東京都○○区××に医院を開業するまで控訴人夫婦に月額二〇円程度の援助を続け、その後も食糧等の援助を続けた。

2  当時控訴人夫婦においても春子に対する感謝の念を忘れず、二郎死亡(昭和二四年)後は同人に対し生活費の一助として月に二、〇〇〇円ないし三、〇〇〇円を仕送りするなどしてその世話をしていた。そして、控訴人は、昭和三九年には春子に相談することなく、東京都○○区××へ控訴人夫婦が春子の養子となる縁組届をした(養子縁組の事実については当事者間に争いがない。)。春子は、控訴人を一〇才の時から前記のように養育し、医師となつた同人を誇りとし、その人格に全幅の信頼を寄せ、同人夫婦からも親愛の情を示されていたので、右養子縁組にもとより異存はなかつた。

3  そして、春子は、昭和四二年頃、控訴人との関係が右のように円満であり控訴人より生活費として一万七、〇〇〇円位の仕送りを続けてもらつていること、控訴人が正式に養子となつて甲野家の跡継ぎになつていたことから、自分の老後を控訴人に託し、その家族の一員として控訴人夫婦や孫に囲まれて安らかに暮すことを予定して、甲野家の家産、先祖の祭祀等を引き継がせるため、本件土地を主体とする亡夫二郎の遺産を控訴人に取得させたいと考えるようになり、控訴人らにその意とするところを語つていた。

4  昭和四三年頃春子は控訴人以外の者で二郎の父三郎(二郎の死後昭和二五年に死亡)及び同母冬子(昭和三一年死亡)の相続人である控訴人の兄弟及びその代襲相続人らにその心情を訴えて説明したところ、これらの者は春子の考えに同調し、各人の相続分につき春子の要望するところに従い控訴人に贈与することに同意した。

5  そこで、当時いまだ二郎の遺産につき分割の手続が未了であつたところから、春子は、控訴人以外の三郎及び冬子の全相続人(三郎に関しては、昭和二六年に相続放棄をしなかつた者)から「被相続人からすでに相当の財産の贈与を受けており被相続人の死亡による相続分については相続する相続分の存しないことを証明します」との文言を記載した証明書をとりまとめ、亡夫二郎の遺産につき自分名義の同旨証明書を添えて控訴人に交付した。これによつて控訴人が冒頭掲記の各所有権移転登記手続を了した。

甲第二七号証の一・二、原審証人甲野秋子の証言並びに原審及び当審における控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らしてたやすく措信できない。なお乙第一号証(三郎作成名義の遺言書)には、「右の者の所有する一切の財産は総て相続人甲野四郎に遺贈する、右遺言す」との記載があり、仮に右遺言書が真正に成立したものであるとしても春子は当時すでに二郎の妻としてその遺産を相続していたものであるから、本件土地を含む右遺産に対する春子の相続分の帰趨に消長を来たすものではない。また成立に争いのない乙第七号証、同第八号証の一ないし三によると、春子はその後も三郎名義の株券(一〇株)、二郎名義の株券(二〇〇株)を所持していたことが認められるけれども、その財産的価値はごく僅かであり、右事実によつて、春子が控訴人に対し本件土地の相続分を贈与した意図ないし事情についての前記認定が左右されるものではない。他に前記認定を覆すに足る証拠はない。

以上認定の事実によれば、本件土地については、控訴人固有の相続分以外の所有持分権の控訴人に対する移転(そのうち春子からの分は、原判決別紙物件目録(一)の土地については持分四分の一、同(二)ないし(一〇)の土地については持分二分の一)は、二郎の遺産の分割に当り、控訴人以外の相続分を有する者から控訴人に対し、右各相続分を贈与することによつてなされたものというべきである。就中春子からの贈与分は、春子の財産のほとんど全部を占めるもので、春子の生活の場所及び経済的基盤を成すものであつたから、その贈与は、春子と控訴人との特別の情宜関係及び養親子の身分関係に基き、春子の爾後の生活に困難を生ぜしめないことを条件とするものであつて、控訴人も右の趣旨は十分承知していたところであり、控訴人において老令に達した春子を扶養し、円満な養親子関係を維持し、同人から受けた恩愛に背かないことを右贈与に伴う控訴人の義務とする、いわゆる負担付贈与契約であると認めるのが相当である。

控訴人は、本件土地は春子らの相続放棄により単独相続したものであつて贈与によつて取得したものでないと主張するが、少くとも春子の相続分に相応する持分については、前記認定のとおり登記手続の便宜上春子において具体的相続分の存在しないことを承認する形式がとられたにすぎないものと認められるから、右主張並びにそれらを前提とする禁反言の主張は容認することができない。

三  ところで、負担付贈与において、受贈者が、その負担である義務の履行を怠るときは、民法五四一条、五四二条の規定を準用し、贈与者は贈与契約の解除をなしうるものと解すべきである。そして贈与者が受贈者に対し負担の履行を催告したとしても、受贈者がこれに応じないことが明らかな事情がある場合には、贈与者は、事前の催告をすることなく、直ちに贈与契約を解除することができるものと解すべきである。

本件において、春子が、本件負担付贈与契約上の扶養義務及び孝養を尽す義務の負担不履行を理由に、控訴人に対し、昭和四八年一二月二八日送達された本件訴状によつて、右贈与契約を解除する旨の意思表示をしたことは、記録上明らかである。

そこで、右負担付贈与契約の解除の適否について判断する。

前掲各証拠並びに成立に争いのない甲第一三号証、同第一四号証の一ないし四、同第一六号証の一・二、同第一七ないし第二〇号証、同第二五号証、同第二六号証の一ないし七、同第二七号証の一・二、同第三五号証の四、同第四一、同第四二号証、同第四三号証の一・二、甲野春子の本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる甲第一五号証、同第四四号証を総合すると、春子と控訴人とは昭和四二、三年頃までは養親子として通常の関係にあつたが、昭和四三年一〇月一五日に本件土地について前記のとおり控訴人の単独相続による所有権移転登記手続が経由されて以後、次のような経緯で、控訴人は春子に対し親愛の情を欠くようになり、その態度、行動は苛酷なものとなり、両者の養親子としての関係を破綻させるに至つたことが認められる。

1  控訴人は、春子から同人の二郎の遺産に対する相続分を前記のように贈与を受けるに先だち、昭和四三年九月一六日春子の頼みで被控訴人に対し右遺産中の原野四畝二五歩、山林四畝二三歩を贈与することにしたが、内心右贈与を快く思つていなかつたこともあつてその履行を直ちにしなかつたところ、春子から被控訴人への所有権移転登記手続を早くするよう度々催促されるので、春子を疎ましく思うようになつた。

2  二郎は昭和二二年頃甲野家の手伝いとして長年尽した訴外Aに年季奉公の謝礼として農地を贈与したことがあつたところ、Aから右土地を買受けていた訴外Bが、昭和四五年頃になつて同土地の所有名義人となつた控訴人に対し所有権移転登記手続を請求したのに対し、控訴人が右贈与を否定して紛争になつたが、春子が、農地委員会から事情聴取された際、Aへの贈与があつたことをありのままに認める陳述をした。そのため、控訴人は自己に不利な供述をされたことを根に持ち、春子に対しさらに不快な感情を抱くに至つた。

3  春子は、昭和四五年頃、三郎の代から甲野家に仕えていた訴外Cが貧しく、住家の屋根の修繕材料に窮していることを聞いて不憫となり、控訴人においても当然異存はないものと考えて控訴人所有の山林の立木四本ばかりの伐採を許したところ、控訴人から苦言を呈されて謝つたことがあつた。春子は、右事件について右の謝罪により落着したものと思つていたところ、その後約一年位過ぎて、控訴人から春子とCが共謀のうえ控訴人所有の立木を窃取したとして、富士吉田警察署に告訴され、同警察及び検察庁から呼び出され取調べを受けるに至つた。

4  控訴人は前記1のように被控訴人に贈与した土地について、昭和四六年一一月一日被控訴人から所有権移転登記等を請求する訴訟(後に右土地を控訴人が第三者に売却したため損害賠償請求に変更された。)を提起されたところ、右訴訟において、控訴人は、被控訴人に右土地を贈与するに至つたことに関して、春子が「同意しなければ控訴人の経営する医院や田舎の家に放火して、首つり自殺をしてやる」などと申し向けて控訴人を脅迫したとか、春子が、異常性格者であるとか、控訴人の立木を勝手に売却したり、控訴人の土地を担保に供すると称して多額な借金をなし浪費生活を続けているとか、虚偽の事実を法廷で供述し、春子の名誉を著しく傷つけた。

5  控訴人夫婦は、昭和四七年一二月一一日甲府家庭裁判所都留支部に、春子について右4の虚偽の供述と同旨の事由があるとして、離縁及び春子の居宅(同人が嫁に来て以来住んでいる甲野家の家屋)等の明渡を求める調停の申立をするに至つたが、右調停は、昭和四八年七月一〇日不調に終つた。

6  控訴人は、春子が前記贈与によつて身の廻り品や、前記の僅かばかりの株券のほかほとんど無一物となり、二郎の恩給(月額九、〇〇〇円)と控訴人からの仕送り(当時は月額一万七、〇〇〇円位)で生活していることを了知しておりながら、昭和四七年末頃から右仕送りを中止し、春子をして困窮の身に陥れ、同人を昭和四八年二月八日以降月額一万円にも満たない生活保護と隣人の同情に老の身を託さざるを得なくし、さらには、隣人に対し手紙で春子に金員を貸与しないよう申し入れた。同地方の有数の資産家の末亡人で、近隣から敬愛されていた春子のこの窮状は、周囲の人々の同情と控訴人に対する非難を呼ぶことになつた。

7  控訴人は、昭和四七年一二月頃、春子の居住する家屋に昔から付設されていた電話を、使用者である春子が留守中に無断で取り外してしまつた。

8  なお、控訴人は、昭和五〇年二月頃、春子が病気で入院している間に春子の右居宅に侵入し、以後の春子の出入りを断つべく、道路と家との間に有刺鉄線を張りめぐらし、更に出入口の鍵まで付け替えてしまつた。

9  春子は、控訴人の仕打ちが昂ずるに及んで遂に昭和四八年一〇月一九日甲府地方裁判所に控訴人夫婦を相手とし離縁の訴を提起し、昭和五〇年一月二二日協議離縁することで和諧するに至り、同年三月一七日離縁の届出をして、控訴人夫婦との養親子関係を解消した。

甲第二七号証の一・二、原審証人甲野秋子の証言並びに原審及び当審における控訴人本人尋問の結果中、右認定に反する各部分は、前掲各証拠に照らしてたやすく措信できない。なお成立に争いのない乙第一〇号証の一・二、によると、春子が昭和三六年頃、三郎名義の土地を二郎の遺産と考え訴外Dに代金一一万二、五〇〇円で売渡した事実が認められるけれども、右代金を春子が取得したとしても、それが昭和四七年末当時まで残存し、控訴人の仕送りがなくてもそれによつて生計を立てることが可能であつたとは到底認め難いから、右事実をもつて前記6の事実を認定する妨げとなるものではない。

以上認定事実によれば、控訴人は、春子側に格別の責もないのに、本訴が提起された当時において、養子として養親に対しなすべき最低限の春子の扶養を放擲し、また子供の時より恩顧を受けた春子に対し、情宜を尽すどころか、これを敵対視し、困窮に陥れるに至つたものであり、従つて、春子の控訴人に対する前記贈与に付されていた負担すなわち春子を扶養して、平穏な老後を保障し、円満な養親子関係を維持して、同人から受けた恩愛に背かない義務の履行を怠つている状態にあり、その原因が控訴人の側の責に帰すべきものであることが認められ、控訴人と春子との間の養親子としての関係も本訴提起当時回復できないほど破綻し、その後の経過からみても、春子が控訴人に対し右義務の履行を催告したとしても、控訴人においてこれを履行する意思のないことは容易に推認される。結局、本件負担付贈与は、控訴人の責に帰すべき義務不履行のため、春子の本件訴状をもつてなした解除の意思表示により、失効したものといわなければならない。

四  次に、控訴人が当審において附加して主張した本件土地所有権時効取得および相続回復請求権の時効消滅の仮定抗弁について判断する。

被控訴人は、右仮定抗弁について時機に遅れた攻撃防禦方法として許容されないと主張するが、右仮定抗弁は、昭和五一年一二月二二日に本件口頭弁論期日に主張されたものであるけれども、控訴人は右仮定抗弁について新たな証拠調を請求した訳ではないから、被控訴人に対し訴訟遅延による不利益を及ぼすものではなく、被控訴人の右主張を採用することはできない。

しかしながら、控訴人が昭和四三年一〇月一五日に本件土地について単独相続による所有権移転登記手続を経由する以前から、単位所有の意思をもつて、かつ単独で占有管理していたとの事実を認めるに足りる証拠はないから、本件土地所有権時効取得の仮定抗弁を容認することはできない。また、被控訴人の請求は相続回復請求権に基いて本件土地の共有持分の返還を求めているのでなく、かつ、相続回復請求権の存在を前提とするものではないことは明らかであるから、その消滅時効を援用する控訴人の仮定抗弁は、その前提を欠き、主張自体失当である。

五  従つて、控訴人は、本件負担付贈与契約の解除により、その原状回復として、春子に対し、本件土地の春子の有していた相続分に相当する持分、すなわち物件目録(一)の土地につき持分四分の一を、その余の土地につき持分二分の一を、返還する義務を負つていたものといわなければならない。

六  原判決別紙物件目録(六)ないし(一〇)の土地が、現在既に第三者に売却されていることは当事者間に争いがない。成立に争いのない甲第二一ないし第二四号証、当審証人甲野五郎の証言原審における甲野春子本人及び控訴人本人の尋問の結果によると、右目録(八)ないし(一〇)の土地は控訴人自身が売却したこと、同(六)、(七)の土地については、当初は春子が甲野五郎に対し売却交渉をし、そのことについては控訴人も了解していたが、控訴人が春子に対し不信感を抱くようになつてから、控訴人自らがその交渉に当り、売却契約を成立させ、その売買代金一〇三万二、五〇〇円も、甲野五郎が控訴人の銀行口座に振込んで支払われたこと、春子は、五郎から受けとつていた右土地の売買の手附金一〇万円も同人に返還し、右売買代金についてはその一部も領得していないことが認められる。原審及び当審における控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信することはできない。

右事実によれば、右目録(六)ないし(一〇)の各土地は全部控訴人が売却したものであるから、本件負担付贈与契約の解除による原状回復として、右各土地の持分二分の一を、春子に対し返還する義務は履行不能になつているから、控訴人はこれに代る填補賠償をすべき義務がある。控訴人は右目録(六)(七)の土地については春子が無断売却したのを控訴人が追認したものであることを前提にして、右両土地についての填補賠償は売却代金の二分の一を限度とすべきであると主張しているが、右主張はその前提を欠くものである。

そして、成立に争いのない甲第四四号証によれば、右目録(六)ないし(一〇)の各土地の、前記贈与契約の解除時である昭和四八年一二月二八日当時における価格は、右目録(六)の土地が金五七五万円、同(七)の土地が金九三万七、四〇〇円、同(八)ないし(一〇)の土地が全部で金八三一万一、七〇〇円(合計一、四九九万九、一〇〇円)であることが認められる。

従つて、控訴人は、春子の承継人である被控訴人に対し、右目録(六)ないし(一〇)の土地の持分二分の一の代償として、金七四九万九、五五〇円を支払う義務がある。

七  前記二の1ないし7及び三の1ないし8に認定判示した事実によれば、控訴人は、その一〇才の頃より実母同様の慈しみをもつて養育され、医師になるまで面倒をみたうえ相続財産のほとんど全てをも贈与してくれた養母春子に対し、通常親族間では考えも及ばないような忘恩的行為や一般社会生活上も許されない行為を敢てしているのであつて、就中、前記三の3、4、5、7の諸行為は春子に対する違法な権利侵害であつて不法行為に該当するものといわなければならない。そしてこの不法行為により、春子は老身には耐え難い精神的苦痛を蒙つたものと認められるので、本件に顕れた諸般の事情を斟酌すると、控訴人が春子に対し支払うべき慰藉料は金一〇〇万円が相当と認められる。

八  以上の次第であるところ、春子は、本件訴の提起後死亡し、同人の遺言により被控訴人がその包括受遺者となり、同人の権利務義の一切を承継したことは当事者間に争いがないから、被控訴人の本訴請求は原判決別紙物件目録(一)の土地につき、春子の持分四分の一、同(二)ないし(五)の各土地につき、春子の持分二分の一とする共有持分移転登記手続と、金八四九万九、五五〇円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和四八年一二月二九日以降右支払済に至るまで民事法定利率年五分の遅延損害金の支払を求める限度で理由があり認容すべきであるが、その余の部分は理由がないから棄却すべきである。

よつて、これと同旨の原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないから棄却することとし、控訴費用の負担について民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 外山四郎 海老塚和衛 鬼頭季郎)

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